東京高等裁判所 昭和42年(ネ)895号 判決 1968年5月31日
控訴人 東京都
被控訴人 吉田信義
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠の関係は、控訴代理人において、「豊島税務事務所長は、本件売却決定を取り消すとともに、国税徴収法第一三五条第一項第一号にもとづき被控訴人に対し、先に被控訴人から受領した換価代金を返還した。しかし、同条項但書の規定によれば、売却決定の取消をもつて買受人に対抗できない場合には換価代金を返還する必要がないのであるから、豊島税務事務所長が前記返還手続を行なつたことは、売却決定の取消をもつて被控訴人に対抗できること、すなわち、本件差押の瑕疵にもとづく本件売却決定の無効を宣言したものと解することができる。そして、右無効宣言によつて被控訴人が本件電蓄の所有権を取得しえなかつたことが遡及的に確定されたのであり、右無効宣言は公定力を有するから、爾後なんびとも被控訴人が本件電蓄の所有権を取得しえたものであると主張し、判断することは許されない。」と述べ、被控訴人が「右主張は争う。」と述べたほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
一、被控訴人が、昭和三六年一〇月二七日東京都豊島税務事務所において行なわれた地方税滞納処分による公売において、滞納者基太村千代子の保管にかかる本件電蓄一台および応接セツト二組を八、八〇〇円で入札したところ、同税務事務所長から最高価申込者として売却決定を受けたので、即日買受代金八、八〇〇円を納付し、売却決定通知書の交付を受け、本件電蓄および右応接セツトの引渡を受けたが(成立に争いのない甲第一号証によれば、右引渡は売却決定通知書を交付する方法によつてなされたものであることが認められる。)、これより先、豊島税務事務所職員長田清が本件電蓄を差し押えてこれを同人に保管させるにあたり、封印、公示書その他差押を明白にする方法により差し押えた旨を示す措置をとらなかつたことは当事者間に争いのない事実である。右事実によれば本件電蓄について差押の効力が生じなかつたことは国税徴収法第六〇条の規定に徴して明らかである(本件弁論の全趣旨によれば、基太村千代子の滞納にかかる地方税は遊興飲食税であることが認められる。遊興飲食税は昭和三六年法律第七四号により料理飲食等消費税と名称を改めたが、「料理飲食等消費税にかかる地方団体の徴収金の滞納処分については国税徴収法に規定する滞納処分の例による。」旨の地方税法第一三四条第六項の規定((昭和三六年五月一日から施行))は旧遊興飲食税の滞納処分について適用があると解すべきは当然である。)。したがつて、控訴人は本件電蓄の処分権を取得しえず、本件売却決定は処分権なくしてなされたものであつて、その瑕疵は重大かつ明白であるから、本件売却決定は無効であり、被控訴人が買受代金を納付しても本件電蓄の所有権を取得しえなかつたものといわなければならない。
もつとも、本件電蓄および前記応接セツトは基太村千代子の所有でないことが、本件売却決定後に判明したので、豊島税務事務所長が右理由により昭和三六年一〇月三一日本件売却決定を取り消したが、被控訴人は本件電蓄等が基太村千代子の所有でないことを知らなかつたことは当事者間に争いがなく、その限りでは、被控訴人は国税徴収法第一一二条第一項の規定により本件電蓄等の所有権を取得したもののごとくであるが、元来右規定は差押が有効になされている公売手続についてのみ適用されるものであつて、本件のように公売財産に対し有効な差押がなされていない場合には右規定を適用する余地はないと解すべきである。
以上によれば、もし本件電蓄に対する差押が有効になされていたならば、これに続く本件売却決定にもとづき、被控訴人が有効に本件電蓄の所有権を取得しえたことは否定できない。この点について、控訴人は、豊島税務事務所長が被控訴人の納付した換価代金の返還手続を行なつたことを以て本件売却決定の無効を宣言したものと解すべきであるとの前提に立ち、右無効宣言の公定力によりなんびとも被控訴人が本件電蓄の所有権を取得しえたと主張し、判断することは許されないと主張するが、豊島税務事務所長の換価代金返還手続が控訴人主張の趣旨でなされたことを窺うに足る証拠はないから、控訴人の右主張は前提を欠き、失当たるを免れない。
二、被控訴人は本件電蓄の公売が無効な差押にもとづいてなされたことにつき豊島税務事務所の職員に故意または過失があつた旨主張する。そして、当裁判所は原判決のこの点に関する理由説示(二、(一))と同一の理由により被控訴人の主張を肯認すべきものと判断するので、右理由説示を引用する。
三、控訴人は、売却決定を取り消した場合には、その理由の如何を問わず、国税徴収法第一三五条所定の原状回復として買受人に換価代金を返還すれば足り、損害賠償をすることを要しない旨ならびに国家賠償法は行政処分の手続過程における公務員の故意過失による損害賠償を是認したものでない旨主張するが、この点に関する当裁判所の判断も、原判決理由説示(原判決一三枚目裏二行目から一四枚目裏一行目の「ならない。」まで)と同一であるから、これを引用する。
四、よつて進んで被控訴人主張の損害について検討する。
本件のように滞納処分としてなされた公売財産の売却決定が無効である場合には公売財産の所有権は買受人に移転しないのであるから、公売財産の所有権を以て公務員の違法行為により侵害された利益と観念する余地がないことは明白である。しかし、公売手続において、入札をしようとする者は、売却決定およびこれに至る手続過程に売却決定を無効ならしめるような瑕疵がないこと、したがつて、売却決定により支障なく公売財産の所有権を取得しうるであろうと予測し、右予測のもとに入札意思を決定し、入札申出をするのであり、換言すれば、入札をしようとする者の入札意思の決定は売却決定を無効ならしめる瑕疵がないことに対する信頼の上に成り立つのである。滞納処分を行なう地方公共団体またはその長から権限委任を受けた税務事務所長が適法な公売を行なうべきことは、入札申出(それは公売保証金の納付、入札書の差出等の手続を要する。)を介し租税債権者側と特別の結合関係を有するにいたつた買受希望者の右の信頼に応え、その者の入札意思決定の自由を実質的に保障し、不慮の損失を与えないようにするという側面を有するのである。してみれば、無効な売却決定をして入札者中の最高価申込者をして公売財産の所有権を取得せしめえなかつた行為は、その者が売却決定の無効なことを知悉していた等特別の事情がない限り、その者の入札意思決定の自由を侵害するものとしなければならない。ところで、右の場合通常生ずべき損害は売却決定を無効ならしめる公売手続上の瑕疵がないものと信じて入札申出をしたことによつて被つた損害であつて、売却決定によつて得べかりし所有権を取得しえなかつた損害(その額は当該公売財産の時価となる。)は右の場合における通常生ずべき損害には該当しないといわなければならない。純然たる私法上の売買契約が原始的不能である場合に生ずるいわゆる契約締結上の過失にもとづく損害賠償について、不法行為的構成をとる見解が、その責任原因を相手方の契約締結の自由に対する侵害に求めていること、一般に契約締結上の過失にもとづく損害賠償は相手方がその契約を有効と信じたことによる損害(信頼利益)に限ると解すべきことと比照しても、公売の場合に前述したところと別異に解する理由を見出し難い。公売の信用性維持のみを根拠に最高価申込者の取得すべかりし所有権を取得しえなかつた損害の賠償責任を肯定することはできない。しかるに、本件において、被控訴人は、本件売却決定によつて取得すべかりし本件電蓄の所有権を取得しえなかつたから、本件電蓄の時価相当の損害を被つたと主張するのみで、本件売却決定を無効ならしめる瑕疵がないものと信じて入札申込をしたことによつて被つた損害の発生およびその損害額についてなんら主張立証をしていない。もつとも、被控訴人が本件電蓄および応接セツトの買受代金八、八〇〇円を納付したことは前述のとおりであり、右応接セツトの価額が一、〇〇〇円であつたことは当事者間に争いがないから、被控訴人は本件電蓄の入札のため七、八〇〇円を出捐したこととなるが、右出捐を以て損害と認めることはできない。すなわち、本件弁論の全趣旨によれば、控訴人は昭和三六年一〇月三一日本件売却決定を取り消すとともに、被控訴人に対し、国税徴収法第一三五条第一項第一号所定の換価代金返還義務の履行のため、先に受領した八、八〇〇円を提供したが、受領を拒まれたので、同年一二月二一日これを供託したことが認められるところ(供託の事実は当事者間に争いがない。)、売却決定が無効である本件のような場合には国税徴収法第一三五条の適用がないこと前述のとおりであるから、控訴人がした右供託は同条第一項第一号所定の換価代金返還義務を免かれるためにした供託としては無効といわざるをえないが、飜つて、当時控訴人において右供託が叙上の理由により無効であることを知つていたならば、控訴人は、本件売却決定が無効であることに伴う換価代金返還義務の履行のため前記提供をなし、かつ、右義務を免かれるため前記供託をする趣旨であつたと解せられるから、右趣旨の供託としては有効であり、被控訴人は右趣旨の供託の効果として当該供託金還付請求権を取得したものというべく、右請求権の取得によつて被控訴人の前記出損は経済上補填されたと認められるから、もはやこれを損害ということはできないのである。されば、爾余の点について審究するまでもなく、被控訴人の本件損害賠償請求は理由がないといわなければならない。
五、以上の次第であるから、被控訴人の本訴請求は棄却すべきである。これと結論を異にする原判決は失当であり、本件控訴は理由がある。
よつて、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡部行男 川添利起 蕪山厳)